企業統合のお知らせ
2018年3月、プロッツァは親会社の株式会社プロスタッフと合併し、プロッツァ事業部となりました。
創業時から流れる、時代の最先端を行く技術開発のDNA
私たちの歴史は1915(大正4年)年、竹原権治が大日本紡織(現ユニチカ)の設営に伴う機械設備全般の設計・施工・工事を請け負い創業したことからはじまります。コンピュータもセンサもない時代に、機械機構だけで複雑な工程を制御する紡織機械は、当時の最先端技術の結晶と言っても過言ではないでしょう。こうした、常に時代の最先端に挑むエンジニアリングの姿勢は、私たちの「技術開発のDNA」として現在も受け継がれています。
第二次世界大戦中は、高度な金属加工技術を活かしてゼロ式艦上戦闘機の離着艦装置の部品製造を担当。
また、独自のマフラーでその名を知られたオートバイメーカー・CABTONの部品製造も手がけ、多彩なノウハウを蓄積する一方、時代が求めるモノづくりを実践してきました。
竹原式輪具撚糸機
カー用品製造で培った「お客さまに喜ばれるモノづくり」と新市場開拓のDNA。
戦後、(株)竹原機械製作所としてスタートした私たちは、産業用機械器具の製造販売にシフトし、国内産業の復興と成長に貢献。また、成長著しいモータリゼーションの中に、新たなマーケットを見いだします。1968(昭和43)年には自動車用品事業部を設置しカー用品の開発研究に着手。自動車ガラスの油膜取り「キイロビン」も、この頃に誕生した当社のロングセラーです。
自動車の台数が急増し、それに伴う事故の危険性も増していた時代に、油膜による視界不良を解消するキイロビンは、営業スタッフを総動員した実演販売の成果もあって徐々に支持を伸ばし、後に市場を国内全域に拡大します。
当時、営業スタッフの一員として全国に出張した廣瀬徳藏(現 代表取締役社長)は、その頃のことを次のように振り返ります。「油膜で汚れたガラス板とキイロビンを抱えてガソリンスタンドを訪問し、他社製品では落ちない油膜が落とせることを実際に見ていただくのですが、この業界ではまったく無名の会社の製品で、当初はなかなか相手にしてもらえませんでした。ただ、この商品を使っていただけば、お客さまを不幸な事故から守ることができる。お客さまの安全に貢献できるんだという強い思いが、私たちの心の支えでした」と。お客さまに喜ばれるモノづくり。それは、生産拠点を海外に拡大し1000アイテムを超える商品をアフターマーケットに送り出す現在も変わらない、私たちの誇りです。そして、その誇りは、商品開発はもちろん、お客さまの期待を裏切らない徹底した品質管理という、私たちの「モノづくりのDNA」として受け継がれています。それこそが新規市場開拓の鍵なのだという確信とともに。
カーショップ・ホームセンターで実演する、営業マン時代の廣瀬
当社初のカー用品「キイロビン」
(当初の発売名は「ビックリン」)
DNAを受け継ぐもの。プロッツァ誕生。
振り返ってみると私たちの歩みは、時代が要請する課題に向き合い、夢中でその解決に 取組んだ歴史、と言えるかもしれません。そして21世紀初頭の現在、私たちの喫緊の課 題は地球環境の保全です。
2008(平成20)年のEV事業部の設置は、その課題解決の第一歩。しかし、環境に優しいからと言って、高度なインフラが必要であったり、高価格の製品では市場に受け入れられません。廣瀬がそのヒントを見出したのは、カー用品工場の 進出先だった上海での風景でした。「街の多くのバイクが、来るたびに電動に置き換わっていく。EVは遠い未来の乗り物じゃなく、もっと身近な存在なんだ」。つまり、私たち が目指すべきEVは、誰もが暮らしの中で普通に使用でき、新たな走る楽しさを提供できる乗り物。静かで、排気ガスをまったく出さず、走行中も小鳥のさえずりが聴こえる乗り物であるべきだ。電動バイクの開発は、こうした背景からはじまりました。お客さまに、これまでになかった喜びを提供したいという強い思いとともに。
日本から電動バイクで初挑戦。完走5位入賞
そして、2009年(平成21)当社初の電動バイク「EV-R55」が誕生します。さらに翌年には、ペダル付きモデルの「ミレット」を投入。軽快なアピアランスと12色ものカラーバリエーションは多くのマスコミに注目され、静かでクリーンな走りとともに、ファッションに敏感な女性など新たな顧客層の開拓に成功します。
一方、最先端への挑戦は性能の追求でも積み重ねられ、2011(平成23)年にはバイクレースの聖地、マン島TTレースに日本から初挑戦し完走・5位入賞。EVの活躍の幅を広げる大容量バッテリーと高出力モーターのノウハウを獲得します。そして2012(平成24)年、 フィリピンの排気ガス問題の解決を目指す現地からの呼びかけに応え、これまで培ったノウハウを投入した7人乗りの電動三輪「ペコロ」を開発。現地工場のあるセブ島周辺では、ペコロが青い海を背景に軽快に走っている姿があちこちで見られるようになっています。
竹原、プロスタッフの時代
プロッツァの時代